ここに謹んで、お悔やみ申し上げます
私が富士通に入社した時、秋草顧問は私が所属する第二システム統轄部の統轄部長になっておられました。先のブログにも書きましたように、 秋草顧問は「部下を信頼して任せる」というタイプの方です。優れた方々のサポートがあれば、周囲は動きやすい環境になるでしょう。私はそのように感じました。
先のブログに、「稟議は、留学先で使っていたADAPTシステムを富士通の汎用コンピュータ上に移植するという内容でした。一通り聴き終えた後、余計なことはいわずに「大丈夫か」との一言。「大丈夫です」と答えたら、そのままOKとなりました。」と書きましたが、その時観ていただいた稟議書の表紙のコピーを以下に示します。
文字が汚くて申し訳ありません。当時(昭和61年:1986年)は、ワープロではなく手書きでした。この表紙中、上部にある計画元の押印欄の統轄部長印が「第二システム統轄 部長 秋草」となっています。なお、この隣の部長欄の印は「第三製造工業システム 部長 黒川」となっています。この印は、秋草社長の後を継いで社長になられた黒川博昭社長の印です。当時は部長になられたばかりでした。この稟議書には二代続いて富士通の社長となられた秋草社長および黒川社長の印が押されています。
私の仕事はコンピュータと化学、創薬、安全性を結びつける、当時の日本では殆ど実施されていない研究分野でした。富士通は、そのような分野にも積極的にアプローチしようとするチャレンジ精神に溢れていました。
改めまして秋草相談役のご冥福をお祈りいたします。
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