今回はPSUのアメリカンフットボールチームを4大ボウルの全米一に導き、また自らも400勝という前人未到の勝利記録を達成したJoe Paternoコーチを偲ぶ会です。いつもはなかなか時間がとれず、PSUの総会等のこの種の集まりに参加できない方々にも貴重な時間を割いていただき、また遠方からも多数参加いただき、会はJoe Paternoを慕う人々で盛会となりました。特に今回の特徴としては、PSUを卒業したばかりの方や、PSUのアメリカンフットボールをこよなく愛する若い世代の方々の参加があり、会場は熱気にあふれていました。
会場では、有志が持参したJoe Paternoに関する資料や記念品が展示され、PSUのフットボール試合のDVDが流されていました。また、Joe Paternoの葬儀の様子や生前の業績を偲ぶ動画がプロジェクターを用いて大スクリーンに映し出されていました。これらの動画を見れば、Joe Paternoがいかに素晴らしい実績を上げ、多くの人々に愛されていたかがよくわかります。ちなみに私の好きな写真はJoe Paternoが選手と一緒に走っているところを写したものです。年をとっても常に選手と一緒に行動する監督というJoe Paternoの熱意と魂が感じられます。
会はPSCJ(Penn State Club of Japan)の阿部会長によるJoe Paternoにささげる黙とうより始まりました。参加した方々が会場の西洋(イタリア)料理を楽しみつつ、PSU時代のアメリカンフットボール試合の話や、Joe Paternoのフランクな気質、競技場の様子、ホームゲームの様子等の思い出話に花を咲かせつつ素晴らしく充実した時間を過ごしました。
ちなみに、会場のグリルシャトーは創業50年という歴史を感じさせるよい店でした。
以下に、当日展示された資料や記念品の写真を掲載しますので楽しんでください。
我らが愛するJoe Paterno
Joe Paterno関連の雑誌。ジョーイの本もあります。
会場で流されていたPSUローズボール決勝のDVD上映
写真の二枚のTシャツはコーチPaternoへの感謝のTシャツです。
上の図柄はPaternoが試合の時にグレーのズボンと白ソックスにズック靴を愛用していたことで、この図柄となっています。
Joe Paternoが亡くなった時のTシャツです。
PSU関連グッズとフットボールゲームで使うヘルメットです。帽子は優勝した時の記念帽子です。
ヘルメットは強化プラスティックなので昔と比べるとかなり軽くなっているという話ですが、私が持ってみるとかなり重いものでした。これらを被った山のような大男が体ごと突っ込んでこられては、こちらは簡単に吹っ飛んで、体自体がこわれてしまうなーという感じでした。
松村様持参の記念の盾ですが、裏にJoe Paternoの直筆のサインがあります。
会では、今回アメリカから参加された古川様が、PSU時代のJoe Paterno話や、ニタニーライオンチームの試合をホーム試合でなく、アウエイでの試合に行った時に、敵チームのサポーターが大群衆で、帰るのも大変であった等の思い出話がありました。また、PSUのニタニーライオンチームをこよなく愛し、名古屋からこの会に駆け付けたというファンの方の素晴らしい話や、PSUを卒業して帰国して間もないという方からの最新の話があり、会場が盛り上がりました。こうした若い人たちにPSUの新しい流れや歴史を作っていってほしいと思います。
*会当日の写真は参加者にメールされていると思います。ここでは、プライバシーの関係からグッズおよび記念品の写真にとどめますので、ご了解お願いいたします。
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追筆:追悼会の前日にJerry Sandusky の裁判が始まったというPSUフットボールチームのスキャンダル放送がFENから流れていましたが、この原稿を書いている今も再びJerry Sandusky のニュースが流れました。本当に残念なことです。
改めて、PSUのニタニーライオンチームがJoe Paternoを失ったショックから一日も早く元の元気を取り戻し、アメリカンカレッジフットボールの雄となりますように心より祈ります。
文責:株式会社 インシリコデータ 湯田 浩太郎