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2012/04/20

Joe Paterno(ジョー・パターノ) アメリカンフットボールコーチ追悼会のお知らせ:Announcement of memorial service of PSU's american football coach Joe Paterno



◆ PSU(ペンシルバニア州立大学)の アメリカンフットボールチームを全米1に育て上げた故Joe Paterno(ジョー・パターノ)コーチ追悼会開催のお知らせです:
The memorial service for the American football coach (Joe Paterno) of PSU is held on the next schedule.


   以前報告いたしましたが、PSUのアメリカンフットボールチーム(二タニー・ライオン:Nittany Lions )監督でありました、故 Joe Paterno監督を偲ぶ会の日程と開催場所が決まりましたので報告いたします。以下に案内状を掲載いたします。案内状にもありますように、ニタニーライオンが泣いています。ふるって参加いただければと存じます。

お願いです:
    現在、PSCJ (Penn State Club of Japan) では、PSU(Pennsylvania State University:ペンシルバニア州立大学)関連の方々のコミニュケーションの場としての機能を充実させてゆきたく考えております。この目的でペンステーターの方々の名簿を作成しております。
    今回のJoe Paterno監督追悼会に参加されない場合でも、ご連絡先とメール登録いただければ、今後のPSCJの活動報告やペンステーター同士のコミニュケーションの場や機会を共有出来ますように努力いたします。是非、これを機会に登録お願いいたします。
    なお、登録は以下に記載されております追悼会案内メールの連絡先にお願いいたします。

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PSU日本同窓生の皆様

拝啓

 春たけなわの候、皆様にはますますご盛栄のこととお慶び申し上げます。
 さて、Penn State Club of Japanでは、去る1月に死去されたペンステートの偉大なフットボールコーチ、故ジョー=パターノ氏の追悼会を、下記の通り企画致しました。
 ペンステート所縁の我々が集まって、彼の足跡を偲び、業績を称え、そして元気をなくしたペンステートにエールを送ろうではありませんか。
 皆様のふるってのご参加をお願いいたします。ご家族でのご参加を期待しております。また、思い出の写真や品々がありましたら、お持ちください。皆で思い出を共有しましょう。


敬具

2012年4月吉日
Penn State Club of Japan(PSCJ)会長 阿部 弘、幹事一同




               
ジョー=パターノ コーチ 追悼会

日時:2012年6月9日(土)、12:00~14:00
場所:グリルシャトー 東京、八重洲北口(徒歩約5分)
http://r.gnavi.co.jp/g037300/map/
〒103-0028 東京都中央区八重洲1-6-14
050-5798-1745(電話担当:古賀さん)
参加費:6000円 (家族3000円、 15歳以下無料)

プログラム(暫定):
1. 開会の挨拶、黙祷 PSCJ会長 阿部
2. 思い出の品展示 有志   PSU(フットボール)に関連する思い出の品の展示
3. 献杯 湯田
4. 戦歴紹介 古川 様 (米国より参加)

5. エピソード紹介 参加者   フットボールに関しての各自の思い出、展示品の説明
6. 次回総会の企画検討  参加者


     申し訳ありませんが、ご参加の可否を、5月18日までに下記までご連絡いただきたく、お願い申し上げます。また、ご参加いただけない方は、近況なりお知らせいただければ幸いと存じます。出来るだけ多くの方に連絡が取れますよう、心当たりの同窓生にこのメールの転送をお願い致します。また、ブログ、ツイッター、フェイスブック等のページをお持ちの方は、この会を案内していただけると幸いです。

連絡先 PSCJ  幹事長 谷 昌毅
メールアドレス   msh-tani@kxb.biglobe.ne.jp

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 ・古川様からの資料です。(Wikipedia上の資料を再編集の上使用)
Head coaching record of the Penn State Nittany Lions by the late Joe Paterno
  Paterno had a career record of 409 wins, 136 losses, and 3 ties.[102] In his 46 seasons as a head coach, he had 38 winning seasons, one more than Bear Bryant. Based on the criteria used by the NCAA, Paterno holds the record for most victories by a Division I-A/FBS football coach, passing Eddie Robinson's 408 victories on October 29, 2011, against Illinois.
クリックすると拡大します

Bowls and championships of the Penn State under Paterno (Wikipediaより抜粋)
Paterno runs out with his team before the start of a game, September 2007
Paterno held more bowl victories (24) than any coach in history. He also topped the list of bowl appearances with 37.[18] He had a bowl record of 24 wins, 12 losses, and 1 tie following a defeat in the 2011 Outback Bowl. Paterno was the only coach with the distinction of having won each of the four major bowls—Rose, Orange, Fiesta, and Sugar—as well as the Cotton Bowl Classic, at least once. Under Paterno, Penn State won at least three bowl games each decade since 1970.
Paterno led Penn State to two national championships (1982 and 1986) and five undefeated, untied seasons (1968, 1969, 1973, 1986, and 1994). Four of his unbeaten teams (1968, 1969, 1973, and 1994) won major bowl games and were not awarded a national championship.
Penn State under Paterno won the Orange Bowl (1968, 1969, 1973, and 2005), the Cotton Bowl Classic (1972 and 1974), the Fiesta Bowl (1977, 1980, 1981, 1986, 1991, and 1996), the Liberty Bowl (1979), the Sugar Bowl (1982), the Aloha Bowl (1983), the Holiday Bowl (1989), the Citrus Bowl (1993 and 2010), the Rose Bowl (1994), the Outback Bowl (1995, 1998, 2006) and the Alamo Bowl (1999 and 2007).
After Penn State joined the Big Ten Conference in 1993, the Nittany Lions under Paterno won the Big Ten championship three times (1994, 2005, and 2008). Paterno had 29 finishes in the Top 10 national rankings.

関連写真へのリンクです:
The late Joe Paterno のポートレート写真です 
彼の銅像です
彼が亡くなった時の銅像の様子です
     多くの人々にJoePが愛されていた様子がわかります。
オールドメイン(Old Main)前に掲げられた半旗です
Joe Paternoの追悼に、オールドメイン(Old Main)前に集まった人々です
生前のJoe Paterno監督 ビーバースタジアムでの写真だそうです
*最大11万人が入れるというスタジアムです
  大学しかない小さな町にこれだけ大きなスタジアムがあること自体、私には驚愕でした。
  しかも、超満員になります。いったいどこから人々が湧いて出てくるんだろーと思います。

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2012/04/03

ICOH 2012 Congress 参加報告(マヤ、ユカタン文明):Report of a participation in ICOH 2012 Congress : Culture of Yucatan

       講演を行った次の日、世界遺産となっているマヤ文明を代表するチチェン・イッツアー(Chichen Itza)に行ってきました。

*高速道路*

       チチェン・イッツアーはユカタン半島のほぼ中央に位置するため、海岸のカンクンからは高速で片道約二時間(約200Km)かかります。ICOH 2012 Congress の参加者が泊っているカンクンのホテル群を大型のツアーバスが巡り、参加者をピックアップしたのちにカンクンの市街地を抜けてからはひたすら走り続けました。高速といっても日本のように高速道とすぐ分かるように陸橋や土堤のようなものはありません。単にブッシュ(日本の林というよりはブッシュです)を切り開いた舗装道で、勾配のない道がひたすらまっすぐに続いています。途中の標識も殆どなく、レストエリアもなく、ひたすら走るだけです。日本人的感覚だと、これだけ平坦で大きく、ブッシュだけの平原であるならば開拓しやすいのになーという感じになります。山や谷等がない平坦な地なので、日本の表日本や裏日本といった気候の変化も少なく、ユカタン半島全体が同じような気象になっているものと思います。
カンクンと内陸部のチチェン・イッツアーを結ぶ高速道路の路肩の様子
ブッシュ、ブッシュ、ブッシュとひたすらブッシュが続きます。殆ど変化がありません

       しばらく走った後に、ツアーバスが高速らしきゲートを出ました。ここでいったんトイレ休憩(バスにはトイレがあったので、必要はなかったのですが、気分転換になりました)をしたのですが、その時の高速入口(カンクンにゆく方向)の写真です。カンクンの文字しかわかりません。カンクンから高速道に入る時はこのようなゲートはありませんでした。一般道からそのまま入ります。
他の道路との交差も殆どなく、分岐点もないので料金徴収はここ一か所でOKなようです。
途中で休憩を取った時の高速のゲート
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*バヤドリド:Valladolid*

       高速道路を出てから立ち寄った町(バヤドリド:Valladolid)です。中央の公園の脇に大きな教会がありました。メキシコはカソリック教徒の信者が多く、ローマ法王が歴史上初めてメキシコを訪問したというニュースが大きく報道されていました。
バヤドリド(Valladolid)の教会

       町は二階建のカラフルな家が続き、その一階に店が開いているという感じで街並みが続いています。店の間口は狭いのですが、一旦中に入ると広いなーという感じです。道路は公園周辺は対面交通がなく、殆どが一方通行でした。ここでは自由時間が45分あったので、リゾート地とは異なる一般の町や教会を散策し、メキシコの雰囲気を十分楽しむことが出来ました。
バヤドリド(Valladolid)の道路
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*チチェン・イッツアー(Chichen Itza)*

       バヤドリド(Valladolid)を出てからニ十分くらいでチチェン・イッツアーの遺跡に着きました。
       現地ではスペイン語のガイドと英語のガイドの二グループに分かれて見学しました。
   なお、チチェンとは「泉(井戸)のほとり」で、イッツアとは「水の魔法使い」という部族名のことだそうです。

*見ました!! 「ククルカンの降臨」*

       訪問した日は21日だったので、運よく春分の日と秋分の日にしか見られないという「ククルカンの降臨」(ウィキペディアより)と呼ばれる天体ショーを見ることが出来ました。その現象が見られるという時間の直前まで雲が多く日が照らず、下の写真のように影は出来ませんでした。これでは、ガイドさんが言っていた「非常に貴重な天体ショー」は見れないなーと殆どあきらめていました。
   ちなみにククルカン(Kukulcan、Kukulkan)とは、羽を持つ蛇であり、マヤ神話の至高神、創造神のことだそうです。
「カスティーヨ」の北面:雲のために影が出来ていない事がわかります

   しかし、予定時間の少し前になって急に日差しが出てきてはっきりと影が見えるようになり、全くラッキーにも「ククルカンの降臨」を完全な形で見ることが出来ました。
春分と秋分の日の一瞬にしか見られない「ククルカンの降臨」のショーの写真

       上の写真を見ると、階段脇にあるククルカン(蛇神)の頭部から日差しが階段のわきに沿って9段目の頂上まで駆け上がっている様子がわかります。9段目は細い光の棒のようになっており、これは短時間のうちに消えてしまい、その後しばらく待ちましたが二度と現れてきませんでした。
   春分と秋分の日にしか見られず、しかも完全な姿が見られるのはほんの一瞬と言える短い時間に起こる現象です。しかも、直前まで太陽が雲に隠れていたものが、その時間になって偶然に晴れ上がり、「ククルカンの降臨」を完全な形で見ることが出来ました。本当にラッキーでした。
   なお、写真には人が写っていませんが、この「カスティーヨ」の前面には約千人程度の人が集まって、この「ククルカンの降臨」の天体ショーを見ていました。

「カスティーヨ」の北面の堀にいたイグアナ:人を恐れません

「カスティーヨ」の北にある「戦士の神殿」

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   以上は「新チチェン」と呼ばれる遺跡群です。チチェン・イッツアーはこの「新チチェン」と呼ばれる遺跡群と、少し離れたところに「旧チチェン」と言われる遺跡群の二つから構成されています。  遺跡の作られた年代が少し離れているそうで、場所も少し離れたところ(歩いて行ける距離ですが)にあります。
   「旧チチェン」の遺跡群で大きなものはマヤの天文台である「El Caracol(エルカラコ)」があります。こちらの遺跡群には、この他にも「尼僧院」と呼ばれるものや「教会」もあり、これらの建物にはマヤ文字が装飾されていました。
天文台である「El Caracol(エルカラコ)」

「El Caracol(エルカラコ)」の前の広場:右の方に「教会」の一部が見える

「尼僧院」と呼ばれる建物

「教会」と呼ばれ、「尼僧院」の隣にあります

   古い観光写真等を見ると、これらの遺跡群には自由に登壇出来、頂上にある祭壇等を詳しく見ることが出来、周辺に広がるユカタン平原を見ることが出来たようです。しかし、残念ですが現在はすべての遺跡群は人が昇り降り出来ないようになっていました。
   太古の昔にこれだけの建造物を残し、非常に正確な暦まで作成していたという技術水準の高さに驚きました。それでいて生贄を神に供えていたという文明は、技術と精神との大きなギャップを強く感じました。

以上


文責:株式会社 インシリコデータ 湯田 浩太郎