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2012/02/02

富士通の元社長である山本卓眞顧問のご逝去に謹んで哀悼の意を表します:I express a condolence for loss of Takuma Yamamoto, advisor and former Fujitsu president heartily.


富士通の元社長である山本卓眞顧問が逝去されたという訃報がWEBに公表されました。


ここに、謹んで哀悼の意を表させていただきます。



◇この場を借りて、私が富士通で働いていた時の3人の社長のパーソナリテイについてお話致します。

 私が富士通に入社した時の社長が山本卓眞社長でした。社長ですから一般社員が実際に会うチャンスも殆どありませんでしたが、社内研修の時に「山本社長の講和」というプログラムがあり、この時に実際に山本社長を見て話しを聴くことが出来ました。

 社長はどんな人かなーとセミナー室で待っていると、これから山本社長が来られますというアナウンス直後に山本社長がバタバタという感じで入室されました。紹介なしでそのまま話をされました。内容は当時大きなニュースとなっていたIBMとの著作権抗争に関する話で、「アメリカのロビーストが頼りないのでこうなる、彼らは首だー」と話し、非常に強烈な印象を残してあっという間に退室されました。突然台風が来て、またたく間に過ぎ去っていった感じです。まさに、富士通を立ち上げて大きくするような人は、山本社長のように、「自ら先頭に立ち、グイグイ人を引っ張ってゆく」というタイプの凄い人なのだなーとつくづく感じました。

 私は、幸運なことに富士通の社長であった秋草直之社長と黒川博昭社長の下で働くチャンスに恵まれました。入社時、既に秋草社長は当時統括部長で、かなり偉かったために日常的に接触するチャンスは殆どありませんでした。しかし、稟議にハンコをいただく時は稟議内容の説明が必要であり、特に専門システムの稟議ということで、直接話をするチャンスを得ました。
 稟議は、留学先で使っていたADAPTシステムを富士通の汎用コンピュータ上に移植するという内容でした。一通り聴き終えた後、余計なことはいわずに「大丈夫か」との一言。「大丈夫です」と答えたら、そのままOKとなりました。まさに「部下を信頼して任せる」というタイプの方です。後に、秋草統括部長は元NTTの秋草総裁の御子息で、将来的には富士通のトップになられるだろうという噂話を聴きました。体が大きくガッシリされ、何とも言えない風格と風貌がありました。富士通の業績が安定し、定常的な環境である時にトップに就かれれば、社員は働きやすいだろうなーと感じました。

 黒川社長は入社時の直属の上司(当時課長)でした。従って、かなりの時間を黒川社長と過ごせましたし、黒川社長の人となりを肌で感じることが出来ました。黒川社長は山本社長とも、秋草社長とも異なるタイプの方です。言葉でいうならば、「人のやる気を起こさせ、一緒に走ってゆく」というタイプの方です。

 黒川社長に関する話はいっぱいあるのですが、例えば部下が新規プロジェクトを提案する時、その是非を判断する場合についての話をしましょう。黒川社長は東大の法学部出身なので典型的な文科系です。私は、当時最先端を行く化学システムのプロであるという意識がありましたので、上司といえども何たるものぞという感じでいました。
 新規プロジェクトについて説明し始めると、疑問点等があると黒川社長は直ぐに質問してきます。どうせ分からないだろうと思いつつ説明しますが、説明に疲れてくると専門用語を多くして質問をあきらめるように仕向けます。殆どの人はこれであきらめるのですが、黒川社長は自分が納得するまであきらめません。そのうち、黒川社長の質問と私の答える内容が少しでも一致する点が出てくると、この時点を出発点として黒川社長の考えとのすり合わせが始まり、いつの間にか二人とも納得点や同意点を見出すようになります。いわゆる夢を共有したということです。ここまでの過程はいつもお決まりのパターンで、黒川社長は「そうなんだな」、「そのように理解すればいいんだな」、と畳みかけるように何度も手を変え品を変えつつ質問してきます。一致点を見出した時、私が「その通りです」と相槌をうつと、「そうかー、そういうことなんだー。だったら、明日からと言わず、今日からでもやろうよ」、と言われます。こちらも、充分納得しているので、やる気が出て「やりましょう」と答えます。ここまで人を引っ張ってくる黒川社長はこれだけでもかなり凄い方なのですが、最後にもう一つ、決定的な言葉で背中を押してきます。「ジャーやろうか、もし失敗したら俺が全責任取るよ」という一言を必ず付け加えます。ここまで言われたら、私に限らず、誰でも男として全力尽くしてやるぞーという気持ちになりますよね。いつの間にか、お釈迦様の手の上で暴れまわっている孫悟空のような状態になっています。当然、私は孫悟空で、お釈迦様は黒川社長です。本人が意識することなく自然に、つまり私はルンルン状態のフルパワーで働いているような状況になっています。このような状況に人を持ってゆくことを自然に出来るのが黒川社長です。

この他にも黒川社長はあっと驚くような様々なことを見せてくれましたし、私も大いに学ばせていただきました。今となって考えると、これが社長となる人の器だったのかと考えさせられますが、当時は他の上司とは異なる非常にユニークな人だなーと感じていました。
 残念ながら入社以来退職までズート一般社員のままでいた私は、同じ期間内に富士通のトップにまでなられた黒川社長から見れば、落差が大きすぎて比較しようもない落第生なのですが・・。このような方の下で仕事が出来たことは、私にとりかけがえのない財産となっています。

文責: 株式会社 インシリコデータ 湯田 浩太郎


 

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